カヅマヤマ古墳 現地見学会
カヅマヤマ古墳:特異構造の石室 日本書紀の皇族や王族か−photoジャーナル:MSN毎日インタラクティブ
天皇・皇族クラスの古墳が集まる飛鳥西部のカヅマヤマ古墳(奈良県明日香村真弓)の石室が、長方形に切った板石をれんがのように積み上げる磚積(せんづみ)式で築かれ、漆喰(しっくい)で固めた特異な構造であることが分かった。1日発表した村教委によると、墳丘内の土器から665〜685年ごろの築造とみられ、天智・天武朝(661〜686年)では最大級の方墳と判明した。飛鳥の古墳で磚積式石室が確認されたのは初めて。大規模な造成を行ったうえに、石室を精巧に築いており、「日本書紀」に登場する皇族や渡来系王族などが被葬者とみられる。【林由紀子、大森顕浩】
村教委が範囲確認のために発掘したところ、丘陵の南斜面を東西約100メートル、南北約60メートルにわたって削り、異なる土層を交互に突き固める版築工法で墳丘を2段以上に築いた1辺約24メートルの方墳とわかった。
石室は盗掘され、南側部分が地震で墳丘ごと2メートル近く下にずり落ちていた。棺を納める玄室は幅1.8メートル、奥行き2.6メートルで、高さは2メートル以上。通路にあたる羨道(せんどう)を含めた石室の全長は5メートル以上とみられる。
約15キロ離れた吉野川流域で採取される結晶片岩を長さ50〜60センチ、幅20〜30センチ、厚さ5センチ前後の板石に切り、数千枚を漆喰をはさみながら積み上げたうえ、壁面全体に漆喰を分厚く塗っていた。
床面にも板石をタイル状に敷き詰めた後、中央に木棺を置くための棺台(長さ2メートル、幅1.2メートル)を造っていた。麻の繊維が付着した漆の断片が見つかっており、棺は、高位の人物のみに用いられた漆塗り木棺か、布を漆で固めた夾紵(きょうちょ)棺とみられる。
磚積式石室は同村に隣接する桜井市などに先行する例があり、朝鮮半島の百済にも割り石やれんがを積み上げたものがある。
石室内からは大腿(だいたい)骨や頭骨などの破片も出土した。散乱しており、後世に入り込んだ人物の可能性もあるが、1人分で、片山一道・京都大教授(人類学)は「30歳代から50歳代のがっちりした体格の男性」と鑑定した。
現地見学会は3日午前10時〜午後3時、報告会は4日午後1時、同村中央公民館で。
◇墳丘と石室は地滑りで崩落…「正平の南海地震」か
カヅマヤマ古墳は墳丘と石室が地滑りによって大規模に崩落していた。調査した寒川旭・産業技術総合研究所主任研究員(地震考古学)は、崩落状況などから1361年8月の「正平の南海地震」で被害を受けた可能性が最も高く、震度6弱程度の揺れだったとみる。
南海地震は南北の横揺れを伴うが、同古墳は東西に細長く延びる尾根上に作られているため、岩盤の揺れと墳丘の盛り土の揺れが一致せず、揺れ幅が増幅。盗掘でぜい弱になっていた石室などに大きな被害をもたらしたと考えられるという。寒川さんは「南海地震が起きた場合にどのような被害が起きるか具体的にわかる。防災に役立てねばならない」と話す。
南北朝時代の争乱を描いた「太平記」には、正平の南海地震について四天王寺の金堂が傾き、熊野の参詣道(さんけいみち)に地割れができたとの記述がある。
毎日新聞 2005年12月1日 22時43分
というわけで、本日開催の現地見学会に行って参りました。来ていたのは暇人なジジババ様たちばかり。(爆)若者の姿がまったく見られないという情けなさ。お昼頃空いている時に見れたのですが天気も晴れていて、板石が重ねられている様子がよくわかった。しかし今日の見学会では詳しく説明をしてもらえず、明日4日に行われる説明会@明日香村公民館でスライドをみせてくれながら詳しい説明を色々してくれるらしいじゃあありませんか。今日は現地の遺跡で土木作業の格好をした明日香村役場の人がハンドマイク握りしめて「はやく階段登って下さい」と急かしていて、古代史マニアでも何でもない素人が「ふぅ〜ん」と見てしまっただけで終わってしまったのが残念。もう少し詳しく歴史背景とかを勉強してから見ると面白いのでしょうね。
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こんにちは。
奈良へ行ったんですね。いーなー。うらやましいです。
今年は修学旅行で奈良へ行きましたが、すっごく心ひかれる展示を奈良国でやってたにもかかわらず見ることができませんでした(引率なので当然です)。
正倉院展も部活の大会とかで土日が潰れてスルーでしたよ。うぅ…。
メールありがとう。今頃気づきました。風邪はもうばっちり治ってぴんぴんしています。
そろそろ来年度の話がちらほらし始めました。うちの自治体の方針が微妙に変わったようで、かなーり困惑しています。仕事のことでもちょっと悩んでるのでユーウツです。
今の環境はかなりグッドで居心地がいーんですが、この仕事って一年ごとに環境が変わるのがイヤですね。そこがいいときもあるんだけど…。
その墓の主は誰でしょね。ガッシリさんってとこが微妙に興味をそぎます。ナヨナヨさんならいっぱい候補はいそうなのに(←私の妄想世界で)。
おひさです。風邪直りましたか。よかったx2。
この業界はいろいろとすぐ方針が変わるので、ついて行くのは大変ですよね。良いときもあれば悪いときもあるのは人間と向き合う仕事なので仕方がない。しかし意外と私たちって周りはそんなに変な人は多くないと思うので、世間と比べれば恵まれているのかもしれませんよ。この前忘年会で意外な方の意外にも真面目な面を見せて頂いてかなり勉強させてもらいました。ちなみに私の来年度はまったくの未定。どうなることやら。
明日香村へ近鉄特急で行ってきてしまいましたよ。吉野川からとってきた石をきれいにスライスして重ねてあるのに感動でした。埋葬されている方はいったい誰なんでしょうね。体格がデカイということで渡来系か?ともいわれているけれど、単にグルメで太っていただけとか?(笑)
このちょっと前に甘樫丘の「蘇我氏の邸宅跡発見?!」見学会があったらしく(でも邸宅にしては狭いらしい。しかし燃えた跡があるらしい)、後で寄った飛鳥歴史公園の公園館で受付のお姉さん+見学の歴史マニアおじさん数名が騒いでいました。日本史の場合、歴史書に書かれているものがそっくりそのまま遺跡で出てくるのがおもしろいよね。しかし世界史の場合、どうやったらわかりやすい資料とか見つけることがぁ?とつくづく悩む今日この頃であります。